2016年07月04日
今世界で起きている自国優先主義は不寛容を認めない寛容社会の末路。
私が産まれる前からだったのか分かりませんがやたらと寛容さを求める社会になりましたよね。
グローバル化もそうだし、LGBTの問題もそうですよね。
でも、寛容さを求める寛容社会には絶対的な矛盾がありますよね。
それは不寛容を認めないと言うことです。
これは本当に大問題で寛容な社会になろうとしているのにAさんの意見はOKでBさんの意見はNOということがあるわけですから、そりゃBさんからしたら「何で?」ってなりますよね。
しかも、まだOKとNOの基準をAさんもBさんも含めたみんなで決めたのなら納得も出来るだろうけど、何か知らない間に勝手に線引きされてる印象ないですか?
一つ具体例をあげればヘイトスピーチ法案です。
表現の自由との兼ね合いで罰則はついていないらしいけど、その後のデモに対する抗議行動を見てたら完全にヘイトスピーチ法案>>>>>表現の自由になっちゃってますよね。
これはまさに不寛容を認めない寛容社会の姿ですよね。
そしてもう一度いいますけど、「その不寛容はダメ!」と決めているのは一部の人。
今まさにイギリスのEU離脱やその他EU諸国のいわゆる極右、極左政党の躍進、アメリカのトランプ・サンダース現象などが象徴する自国中心主義の原因はこれなんですよね。
移民が大々的に取り上げられることが多いけど、それは副作用というか一部の人が決めた寛容社会の結果に過ぎないわけです。
でも、最初に書いたように寛容社会はここ2~3年で始まったのではなく恐らくもう長い間続いている。
それなのになぜ今になってこんなにも世界中で問題になっているかといえば私がいつも言っているように心に余裕がなくなった人がとても増えたから。
一番大きなきっかけとしてはリーマンショックでしょうね。
ただ、リーマンショックの後もしばらくは「まぁリーマンショックがあったしな…」ってことで納得できたわけです。
でも、しばらくの後も良くなるどころか悪くなっていったわけです。
その間も沸々と不満は溜まっていたけど、何が原因なのか?どこに怒りをぶつければいいのか?分からなかったわけです。
そこに、ちゃんと世の中を冷静に分析できる人たちが出て来たことに加えてその情報がネットで拡散したわけです。
そして、その拡散を受け取った一人に私もいたわけでこのブログを始めるきっかけもそれと無縁ではありません。
前にも書いたけど、そりゃ私だってみんなが寛容な社会がいいですよ。
でも、心に余裕がなくなった時にそんなこと言ってられないんですよ。
だから、私は別に不寛容社会の方が良いと言っているわけではなくて、寛容社会はそのままでいいからもうちょっと不寛容も認める社会にしようよって話なんです。
イギリスのEU離脱もアメリカのトランプ・サンダース現象も多分同じですよ。
私はEU離脱賛成派もトランプやサンダースを支持してる人もガチガチに自国優先主義を訴えているわけではなくて「もうちょっと…」、本当にもうちょっと私たちの意見も聞いてよって言うのが本音だと思うんですよね。
でも、国民投票や大統領選挙になると白か黒かになっちゃうからEU離脱や極右や極左政党が躍進してるみたいになるんです。
そして、その結果だけから専門家が分析するからなんか世の中がものすごく不寛容になっているかのように間違った判断をしてしまうわけなんです。
早くここに気付かないと私はまた一つ歪んだ社会になってしまうと思いますね。
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グローバル化もそうだし、LGBTの問題もそうですよね。
でも、寛容さを求める寛容社会には絶対的な矛盾がありますよね。
それは不寛容を認めないと言うことです。
これは本当に大問題で寛容な社会になろうとしているのにAさんの意見はOKでBさんの意見はNOということがあるわけですから、そりゃBさんからしたら「何で?」ってなりますよね。
しかも、まだOKとNOの基準をAさんもBさんも含めたみんなで決めたのなら納得も出来るだろうけど、何か知らない間に勝手に線引きされてる印象ないですか?
一つ具体例をあげればヘイトスピーチ法案です。
表現の自由との兼ね合いで罰則はついていないらしいけど、その後のデモに対する抗議行動を見てたら完全にヘイトスピーチ法案>>>>>表現の自由になっちゃってますよね。
これはまさに不寛容を認めない寛容社会の姿ですよね。
そしてもう一度いいますけど、「その不寛容はダメ!」と決めているのは一部の人。
今まさにイギリスのEU離脱やその他EU諸国のいわゆる極右、極左政党の躍進、アメリカのトランプ・サンダース現象などが象徴する自国中心主義の原因はこれなんですよね。
移民が大々的に取り上げられることが多いけど、それは副作用というか一部の人が決めた寛容社会の結果に過ぎないわけです。
でも、最初に書いたように寛容社会はここ2~3年で始まったのではなく恐らくもう長い間続いている。
それなのになぜ今になってこんなにも世界中で問題になっているかといえば私がいつも言っているように心に余裕がなくなった人がとても増えたから。
一番大きなきっかけとしてはリーマンショックでしょうね。
ただ、リーマンショックの後もしばらくは「まぁリーマンショックがあったしな…」ってことで納得できたわけです。
でも、しばらくの後も良くなるどころか悪くなっていったわけです。
その間も沸々と不満は溜まっていたけど、何が原因なのか?どこに怒りをぶつければいいのか?分からなかったわけです。
そこに、ちゃんと世の中を冷静に分析できる人たちが出て来たことに加えてその情報がネットで拡散したわけです。
そして、その拡散を受け取った一人に私もいたわけでこのブログを始めるきっかけもそれと無縁ではありません。
前にも書いたけど、そりゃ私だってみんなが寛容な社会がいいですよ。
でも、心に余裕がなくなった時にそんなこと言ってられないんですよ。
だから、私は別に不寛容社会の方が良いと言っているわけではなくて、寛容社会はそのままでいいからもうちょっと不寛容も認める社会にしようよって話なんです。
イギリスのEU離脱もアメリカのトランプ・サンダース現象も多分同じですよ。
私はEU離脱賛成派もトランプやサンダースを支持してる人もガチガチに自国優先主義を訴えているわけではなくて「もうちょっと…」、本当にもうちょっと私たちの意見も聞いてよって言うのが本音だと思うんですよね。
でも、国民投票や大統領選挙になると白か黒かになっちゃうからEU離脱や極右や極左政党が躍進してるみたいになるんです。
そして、その結果だけから専門家が分析するからなんか世の中がものすごく不寛容になっているかのように間違った判断をしてしまうわけなんです。
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壊れた地球儀の直し方 [ 青山繁晴 ] |
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